体験談

祖父の借金を返済し続けた父の姿勢に学んだこと

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現在30代半ばの私が子供の頃でしたが、祖父が家業を支えるために借金をして、両親がそれを嘆いていたことがあります。

祖父は小さなそば屋を営んでいて、祖母が亡くなった後は、昔からいる職人さんと2人で店を切り盛りして来ました。

仕事熱心なのはよかったのですが、そのぶん融通が利かず頑固なところがあり、近所に大手の店が新しくオープンしたため、そこにお客を取られがちになっていました。

祖父の借金を返済し続けた父の姿勢に学んだこと02

借金が見つかったのは、その頃でした。

その当時は今よりもはるかに高金利で、しかも返済が遅れると、督促の電話がやまかしく来て仕事になりませんでした。

父は一応祖父の保証人になっていましたが、祖父があまりに借金を重ねるので、次第に祖父に当たるようになり、祖父の家や店に行く機会も減って行きました。

私は母と弟と、時々遊びに行っていましたが、母は私と弟を外で遊ばせ、祖父と何やら話していることが多かったのを覚えています。

今にして思えば、あれは借金に関する相談で、父の意見を伝えていたのでしょう。

それから数年経って、一緒に働いていた職人さんが病気になり、それ以上店を続けて行けなくなりました。

senior Japanese man suffers from headache

祖父の店の常連客だった人たちも、半分ほどは大手の店の方に行くようになり、もう潮時だから店をたたむように父に言われて、祖父も長年経営して来たそば屋に別れを告げました。

しかし店をたたんでも、借金がまだ残っています。

色々考えた末、祖父は家と土地を手放し、その分で何とか借金の一部を払いました。

祖父としては断腸の思いだったかもしれませんが、父は部分的には返済し終わったので、いくらか安堵した表情でした。

残りの分は、父が毎月分割で払うことになり、祖父はしばらく私たちと暮らすことになりました。

私が高校生の頃、祖父は今でいう認知症になり、家では介護できなくなったため、医療施設のある老人ホームに入ることになりました。

そこに入る少し前、祖父は私と弟を呼んで、かつて店にあった馬の民芸品を1つずつ渡してくれました。

祖父は元々長野の出身で、そのせいもあってそば屋を始め、故郷の民芸品を飾っていたのです。

祖父は既にコミュニケーションに障害をきたすようになっていましたが、私には祖父の気持ちがよくわかりました。

あのそば屋を忘れないでくれということだったのでしょう。

老人ホームに入って間もなく、祖父は脳卒中で亡くなりました。

祖父の借金は遺産扱いになりましたが、保証人は相続を放棄することができません。

既にその頃は100万円を切る金額になっていたため、父は頑張って返済を続け、それからしばらく経って完済しました。

後でわかったのですが、父はこの返済のためにお金を借りていたのです。

というよりも、収入からまず返済分を引き、残りの生活費の分を借金で補填していたという方が正確でしょう。

祖父に当たってばかりいましたが、保証人として、息子として黙々と借金を返済し続け、その間はお酒もあまり飲まず、好きなゴルフも極力やらなかった父を、その時改めて見直す思いでした。

父は今も元気で、時々母と旅に出たりしています。

弟は結婚して一児の父です。

Woman in orange dress and hat holding man by hand going to Japanese Garden with pagoda

姉である私のほうがまだ独身で、友人達とあれこれ旅行したり遊びに行ったりしています。

しかし、祖父と父を見て育ったせいか、未だにキャッシングもカードローンも利用したことはありません。

クレジットカードも必要な時以外はあまり使わず、現金で払う方に重きを置いています。

友人からは変わっていると思われていますが、私はこのやり方でいいと思っていますし、むしろクレジットカードの明細を見て一喜一憂するよりは、お金が無いから買わないという習慣をつけた方がいいのではないかとも思っていますので。

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