5年間会社勤めをしていた友人の娘は、ワーキングホリデーへ応募し、審査が通り無事カナダへと飛び立ちました。
一年を約束に両親を説得して飛び立ったのですが、慣れない生活習慣から半年後、現地で精神的に不安定となり、
アパートで引きこもるようになってしまいました。
両親への連絡も遅れ、迎えに行った時にはやつれてがりがりになっていました。
そんな娘を説得して日本に連れて帰ったのですが、あちらで借りていたアパートの費用も2か月未払いがあり、
現地で親しくしていた同じワーキングホリデー仲間からも借金をしていたらしく、両親が支払いをすませ何とかことなきを得ました。
娘は日本に帰ってから抜け殻のようになり、心配した両親は精神科の門をたたきました。
医者からは統合失調症という診断が下され、それを受け入れられないまま、ドクターショッピングを繰り返すのでした。
4件めのクリニックでは、うつ病とパニック障害と診断されました。
そこのデイケアを利用しながら、リハビリと治療に努めました。
一年が過ぎ、娘の病状も安定してきたことから、両親は安心し、そろそろ仕事を見つけてはと勧めたのですが、
娘はいきなり暴れだし、手がつけられなくなりました。
それから、スイッチが入るとものを投げたり、壊したり、時に母親に噛みついたりと暴力行為が続き、
両親はおろおろするばかりで手をこまねく状態でした。
ある日、消費者金融からカードローンの明細書が次々届きました。
娘が姉や母親のカードを勝手に使っていたのです。
これには両親も怒り、親族会議を開きました。
借金は150万に上っていました。
買い物ばかりでなく、ホストクラブへもいつの間にか行っていたようで驚きました。
ドクターに相談すると、すぐに紹介状を書いてくれ、大病院への入院を勧められました。
娘は入院を拒み、また格闘となりましたが、父親が警察を呼び保健所が関わった結果、措置入院となりました。
娘は閉鎖病棟に入り、1か月後には人が変わったかのようにおとなしくなりました。
強い薬が投与され、陽性症状が治まったのです。
娘の借金は両親がまた払い、取りあえず解決しましたが、今後同じ過ちを犯さないよう、病院のワーカーへ相談に行きました。
娘は半年後、家に帰ることができました。
しかし、口が重くなり、何を問いかけても表情がなく、食べては寝ての繰り返しでした。
そうこうしているうちに30歳を迎え、障碍者の就労施設へ通所してはどうかと姉が福祉課へ相談に行き、情報を得てきました。
娘は家から出たくないとしぶっていましたが、家族の勧めでとりあえず見学に行きました。
そこは、内職作業とパンの店を運営する事業所でした。
意外に気に入ったようで、翌週から通所を決めました。
娘の自立を願い両親は精神疾患について勉強しはじめました。
娘も毎日通う場所ができ、だんだん明るくなりました。
しかし、そのうち、他の通所者と金銭トラブルが起き、そこで暴力行為に及んでしまったのです。
喫茶店が好きな娘は、帰りにお気に入りのカフェを見つけ、そこへ他の通所者を誘って行くようになたのですが、
その人がいつもお金を持ってこず、娘が貸していたのですが、借金を返してくれないので文句を言ったら暴言を吐かれ、
かーっとなり殴りつけたらしいのです。
他人に対し暴力をふるったことがなかったため、両親はひどく嘆きました。
しかし、娘は自分を正当化し、絶対謝るものかと意地になっていました。
会議が行われ、暴力は禁止をいうことで、謝罪を拒んだ娘は退所扱いとなりました。
しょんぼりする娘を見てせつなくなった母が、自分たちで娘や娘のような障碍者が通う場所を作ればいいと、
3年がかりで準備しながら借金をして作業所を設立したのです。
親の愛は深く、その強さと実行力に周りは感動しています。